妙顕寺城(みょうけんじ)
 別称  : (秀吉)二条城、二条第など
 分類  : 平城
 築城者: 豊臣秀吉
 遺構  : なし
 交通  : 地下鉄東西線二条城前駅、
        またはバス二条城前停留所下車。


       <沿革>
           妙顕寺城は、本能寺の変の翌天正十一年(1583)に羽柴秀吉によって築かれた。当時どのように
          呼ばれていたかははっきりしていないが、二条油小路にあった妙顕寺を移転させ、跡地を接収して
          築かれたことから、妙顕寺城の名が生じた。二条通に織田信長が築いた二条御新造と隣り合わせ
          の形で選地しているのは、権力者の京の宿城「二条城」として意識したものと思われる。天守建築も
          存在したといわれるが定かでない。
           天正十四年(1586)に聚楽第が完成した後は、京都所司代の邸宅として利用された。廃城期間は
          不明である。


       <手記>
           現地には何の遺構もなく、押小路の一角に石碑と説明板が立っているのみです。ただ、西に家康
          の二条城、東に信長の二条御新造という立地を望めば、秀吉もまた二条の地に覇者を宣言すべく
          城を築いた心境を偲ぶこともできるかと思います。

           

 妙顕寺城址石碑。
妙顕寺城周辺。 


BACK