勝龍寺陣屋(しょうりゅうじ)
 別称  : 長岡陣屋、勝龍寺城
 分類  : 平城
 築城者: 永井直清
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道本線長岡京駅下車


       <沿革>
           寛永十年(1633)、2万石の大名に昇格した永井直清は、(山城)長岡藩を立藩した。
          直清は、戦国時代の勝龍寺城の北方に新たに陣屋を設けた。勝龍寺城を再利用しな
          かったことについては、度重なる戦乱や水害などで著しく荒廃していたからとも、幕府
          からとくに指定があったからともいわれ、定かではない。
           慶安二年(1649)、直清はに3万6千石に加増されたうえ高槻に移封となった。これに
          よって、陣屋はわずか16年で廃された。
           長らく陣屋の位置は不明であったが、JR長岡京駅東口付近で長岡藩の史料と合致
          する遺構が発見された。なお、陣屋の正式な呼称は定かでなく、一般には長岡陣屋と
          呼ばれているが、ここでは勝龍寺城との関連から勝龍寺陣屋とした。勝龍寺城跡の
          資料館では、「永井氏の勝龍寺城」と紹介されている。


       <手記>
           JR長岡京駅の東口付近が陣屋の中心ということですが、駅周辺には遺構はおろか
          碑や説明板もありません。東口駅前から勝龍寺城址へ延びる通称「ガラシャ通り」が、
          その女性的な響きと裏腹にあまりに殺風景なのも、なんともひっかかります。


           
 勝龍寺陣屋周辺現況(ガラシャ通り)。
 左手奥の森は神足城址
長岡京駅前の駅名改名の説明板。 


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