南都奉行所(なんと)
 別称  : 奈良奉行所
 分類  : 平城
 築城者: 大久保長安
 遺構  : なし
 交通  : 近鉄奈良線近鉄奈良駅徒歩5分


       <沿革>
           慶長八年(1603)、南都奉行の派遣・統括権を有していたとされる大久保石見守長安に
          よって、新たな代官所が建造された。同十八年(1613)に長安が死去すると、中坊秀政が
          奈良奉行(南都奉行)に就任した。一般に、奈良奉行の初代は秀政とされる。
           中坊氏は、かつて大和郡山城主であった筒井氏の重臣で、その居館は奉行所に隣接
          する現在の坊屋敷町にあったといわれる。さらに、両町に隣接する宿院町には多聞城主
          松永久秀の構築した宿院城が、坊屋敷町の西隣の北小路町には北小路城があったと
          される。いずれも、筒井氏が伊賀へ転封となった天正十三年(1585)までには廃されたと
          みられるが、奉行所との関係があるのか否かについては定かでない。


       <手記>
           今昔マップを見ると、ちょうど上に図示した奈良女子大の敷地に、土塁で囲まれた方形
          の区画がはっきり載っています。東側の通りから校内を覗くと、土塁のような塚状の地形
          が見えるのですが、遺構が残るとの資料はないようなので無関係なのでしょうか。
           古地図を眺めていると、現在の宿院町や坊屋敷町の範囲が城館跡としては狭すぎたり
          いびつだったりするため、少なくとも宿院城や中坊氏館の城域と奉行所の敷地の一部が
          重複していなければならないように思われます。とくに宿院城は、久秀方の前線の陣城
          ということから、それなりの広さも必要だったでしょう。そこで、あくまで状況的な推察では
          ありますが、宿院城は中坊氏館を拡張したもので、その跡を利用して築かれたのが南都
          奉行所である、という流れもあり得るのではないかと、個人的に考えています。

 南都奉行所跡(奈良女子大学)東辺のようす。
敷地内をちょっと除いたところ。 
土塁を利用した築山…ではないのでしょうか。 


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