小田切城(おだぎり)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 小田切氏
 遺構  : 不詳
 交通  : JR飯田線宮田駅徒歩20分


       <沿革>
           土豪小田切氏の居城とされる。同じ信濃国の佐久郡小田切にも小田切氏があり、両者は
          同族とされるが、その出自やどちらが本家かなど詳しい系譜は明らかでない。12世紀末の
          源平合戦において、小田切良満が甲斐の一条忠頼麾下に属し、源頼朝の命により隣領の
          大田切城主菅冠者平友則を討ったと伝わる。この大田切城(大田切郷之城)を小田切城に
          比定する向きもあり、そうだとすれば平安末期にはすでに館が営まれていたことになる。
           戦国時代に至り、小田切氏は他の伊那の豪族たちと同じく武田晴信(信玄)の伊那侵攻
          に屈した。しかし、弘治二年(1556)に川中島の戦いの間隙を突いて、小田切城主小田切
          正勝や春日城主伊那部重親・殿島城主殿島重国兄弟など伊那の国人が蜂起した。反乱
          はまもなく鎮圧され、正勝はじめ首謀者のうち8人は、狐島(伊那市)で処刑された。これに
          より、小田切城は廃城となったものとみられる。


       <手記>
           宮田村南割の集会所南側が、小田切城跡とされています。カタカナにすると検索閲覧数
          が増えそうな城名ですが、遺構ははっきりしません。南側が浅い谷となっているので、この
          段差を利用した崖端的の館城だったものと推察されます。

           
 小田切城比定地周辺現況。
同上。 
 南辺下の谷を望む。


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