大蔵館(おおくら)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 石井氏か
 遺構  : なし
 交通  : 小田急線成城学園駅または
       東急田園都市線二子玉川駅よりバス
       「永安寺前」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           久寿二年(1155)の大蔵合戦で、源義平に討たれた源帯刀先生義賢の館とする伝承がある。
          付近には、義賢の墓とされる大将塚がある。
           大永年間(1521〜28)、京より石井良寛なる人物が大蔵村殿山に移り住んだとされる。石井氏
          は世田谷城主吉良氏に仕え、天正十八年(1590)の徳川家康の関東入封に際して帰農し名主
          になったとされる。殿山山頂の第六天神社は、良寛を祀ったものといわれている。

       <手記>
           永安寺の裏手の山を登り切ったところに東名高速を渡る橋があり、その南詰に第六天神社が
          あります。大蔵館はこのあたりに存在したとされています。源義賢の館があったとする伝説は、
          大蔵とつくところどこにでも義賢にまつわる伝承があるため、にわかには信じられません。『日本
          城郭大系』でも指摘されているように、世田谷吉良氏の支城とみるのが自然でしょう。ちなみに、
          一般的に義賢の館とされているのは現在の埼玉県嵐山町の大蔵館ですが、ほかにも町田市に
          伝承地があります。
           殿山は、野川と仙川の合流点に突き出した舌状の丘陵で、古くは多摩川が南側眼下を流れて
          いたそうです。仙川の谷戸を押さえると同時に、奥沢城などと並んで多摩河岸の防衛ラインを
          形成していたものと推測されます。

           
 第六天神社。
殿山からの眺望。 


BACK