大出城(おおいで)
 別称  : 里小屋城
 分類  : 平山城
 築城者: 大出氏か
 遺構  : 堀、曲輪跡
 交通  : JR飯田線沢駅徒歩20分


       <沿革>
           大出氏の居城とみられているが、いつごろ築かれたのかは不明である。『伊那の古城』
          によれば、建保年間(1213~18)に飯田の坂西長門守の二男兵庫頭が大出に移り住み、
          大出氏を称したが、建武年間(1334~36)に木曽家村に攻め滅ぼされたとされる。しかし、
          坂西氏が飯田に入ったのがそもそも南北朝時代といわれており、この初期大出氏の存否
          については定かでない。
           『諏訪御符礼之古書』によると、15世紀後半に藤沢出羽守有兼・有世なる人物が大出に
          いたことが記されている。また『伊那温知集』には、天文年間(1532~55)ごろに藤沢織部
          が大出城主であったとある。同十三年(1544)に福与城主藤沢頼親が武田晴信(信玄)に
          攻められた際には、頼親配下の将として「大出」の名がみられる。したがって、15世紀後半
          までには藤沢氏の一族が大出城に拠り、後に大出氏を称したものと推測される。同戦いで
          頼親が武田氏に屈した後の大出氏および大出城については定かでない。


       <手記>
           天竜川と北ノ沢川の合流点に突き出た河岸突端の城です。県道153号線が北ノ沢川を
          渡り、坂道を登り詰める手前で右に折り返す旧道があり、曲がってすぐ目の前に城址標柱
          が立っています。さらに少し下ると駐車スペースや説明板も用意されています。
           主郭は天満天神宮という小社の境内となっていて、背後に堀切があります。現地説明板
          によると、かつては三重堀切だったそうですが、今は1本しか確認できません。堀を越えた
          北辺中腹にも旧道がありますが、当時からのものかは不明です。
           大出城から大永寺を挟んだ北側には、大出古城があったとされています。地形的には、
          城砦構えの大出城に対し、大出古城は崖端の城で居館としての性格が強いように思われ
          ます。古城というからには大出城の方が新しいのでしょうが、どのような関係にあるのかは
          定かでありません。あるいは、古城は藤沢氏庶流大出氏より前に存在した大出氏の居館と
          みることもできるでしょう。また、大永寺についても、大出城の城域に含まれていたのでは
          ないかとも考えられます。

           
 主郭南側の城址標柱と説明板。
先端の一の堀。 
 二の郭跡現況。
二の堀。 
 主郭現況。
三の堀。 
 三の郭現況。


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