幸神屋敷(さじかみ)
 別称  : 御屋敷、幸神御殿
 分類  : 平城
 築城者: 平山綱景か
 遺構  : なし
 交通  : JR五日市線武蔵引田駅よりバス
       「新井薬師看板前」バス停下車徒歩10分


       <沿革>
           『新編武蔵国風土記稿』には「屋敷蹟」、『武蔵名勝図会』には「御殿跡」として記載がある。
          両書とも、城主については不明としているが、『図会』では幸神に住していたとする伝承のある
          平山左衛門尉綱景との関連を示唆している。綱景は、檜原城主平山氏重の弟とされ、天正
          十八年(1590)の小田原の役に際して、八王子城に籠って討ち死にしたとされる。
           『日本城郭大系』では、土豪幸神氏の存在の可能性を唱えているが、裏付ける証拠はなく、
          推測の域を出ていない。

       <手記>
           幸神屋敷は、平井川の支脈勝峰川を少々遡った地点の、緩やかな舌状の峰先にあったと
          されています。現在は民家となっており、遺構の有無は外縁観察からはうかがえません。
           勝峰川の合流地点の少し西で平井川に架かる橋は御殿橋と名付けられています。『図会』
          にある「御殿跡」は、幸神神社の西北とされ、おそらくこの御殿橋を渡った南側付近を指すと
          思われます。この場合、『記稿』の「屋敷」と『図会』の「御殿」は別のものである可能性が生じ
          ます。『図会』の「御殿跡」は、勝峰川と平井川の合流点に位置し、要害地形をなしています。
          現在は、こちらも民家や新道となっていて、遺構の有無は不明です。御殿橋の北側対岸には、
          新井屋敷があったとされています。

           
 御殿橋。
おまけ:幸神神社のシダレアカシデ。 


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