佐津間城(さつま) | |
別称 : なし | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 不明 | |
遺構 : 堀、土塁、櫓台 | |
交通 : 東武野田線六実駅徒歩10分 | |
<沿革> 明確な遺構が残るものの、資料にはみられない城である。『日本城郭大系』では、 『相馬文書』に「相馬胤村と薩摩の関係が記されている」というよくわからない理由 で、鎌倉時代後期から室町時代初期ごろの下総相馬氏との関連を指摘している。 ただし、『大系』においても、現在の遺構を室町時代初期までのものとみるには 規模が小さすぎると疑問を呈している。 現地説明板では、現下の遺構の年代を16世紀中期以降と推定している。 <手記> 佐津間城は、大津川左岸の河岸段丘上に築かれた城です。主郭がほぼ完全に 残っており、見事なのですが、上述の通り歴史については不明な城です。 主郭は私有地となっているうえに、峰側をぐるり民家に囲まれているため、見学は 極めて困難です。ご一緒した『大和之古城』のダイさんとサイドからの接近を試み、 何とか堀と土塁をファインダーに収めることができました。とてもすばらしい遺構が 残存しているだけに、残念さもひとしおです。主郭南辺の階段下という分かりにくい ところに説明板があります。 『日本城郭大系』によれば、主郭南の大宮神社に、江戸時代の野馬除け土手と みられる土塁があるとのことですが、開発によって失われたのか見当たりませんで した。佐津間城のある河岸段丘は、この大宮神社の南と、主郭を挟んで同じくらい 離れた北側に谷戸が入り込んでおり、仮に大宮神社が城域の南端とすると、反対 側の谷戸が北端となるはずです。ただ、そうするとかなりの巨城とならざるを得ず、 現下の遺構からみて、佐津間城はおそらく今に残る単郭の城だったものと推測され ます。 他方で、単郭ながら横矢折れや櫓台を備えており、現地説明板のとおり16世紀 以降の城だろうと考えられます。ただ、城の立地上、仮想敵は大津川対岸の東側 に求められるものと推測され、個人的な見解としては、最初の築城者は小金城主 高城氏と対峙していた小弓公方足利義明なのではないかと考えています。大津川 の対岸には、直接は望めませんが高柳城や谷中台砦がありました。 |
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佐津間城址遠望。 | |
説明板。 | |
堀と土塁。 | |
堀と櫓台土塁。 |