愛宕山城(あたごさん)
 別称  : 茶臼山砦、長沼塁
 分類  : 山城
 築城者: 今川氏か
 遺構  : 曲輪、土塁、堀
 交通  : 静岡鉄道静岡清水線長沼駅徒歩30分


       <沿革>
           駿府の東の守りとして今川氏によって築かれたと推測されるが、史料にはみられず詳細は
          不明である。


       <手記>
           駿府城の北東に延びる谷津山稜の北東端に鎮座する愛宕神社の峰が、愛宕山城跡です。
          一帯は谷津山自然公園となっていて、賤機山ほどではないですが、静岡市民の憩いの山と
          して少なからぬ人が散策に訪れていました。
           北西麓からの参道は、遺構を崩しながら真っすぐ付けられているのですが、鳥居をくぐった
          あたりから左右を覗くと、階段状の腰曲輪群や堀切、土塁の跡が散見されます。山頂の神社
          境内とその下ははっきりと2段に削平されていて、切岸もおそらく当時のものでしょう。散策路
          は北側の尾根にも通じていて、その脇にも規模の大きな堀切や、旧道とみられる堀底道など
          が見られました。現地の縄張り図を見ると、その他の尾根にも堀切が数多く設けられている
          ようですが、遊歩道を大きく外れて藪に突入するのは控えました。
           さて、愛宕山城は比較的規模の大きな山城ですが、最終的な改修者が誰であるかが論点
          の1つでしょう。個人的には、今川氏の後はほとんど顧みられなかったのではないかと考えて
          います。愛宕山城が駿府館の東の守りであることは容易に想像できますが、駿府を押さえた
          武田氏や徳川氏にとって、こちら方面の防備を厚くする必要はとりたててなかったはずです。
          また、愛宕神社は元亀二年(1571)の創建と伝えられることから、事実であればやはり武田
          信玄の駿河侵攻によって落城し、そのまま廃城となったとみるのが妥当なように思います。
           もしそうであるならば、愛宕山城は今川氏の縄張りとそのまま残す貴重な城跡といえること
          になるでしょう。

           
 長沼古城跡から愛宕山城跡を望む。
参道の鳥居。 
ここから左右に遺構が現れはじめます。 
 参道脇の削平地。
参道脇の虎口跡か。 
 参道脇の腰曲輪土塁。
参道脇の腰曲輪跡。 
 堀切および土塁跡か。
同上。 
 主郭下の曲輪。
主郭跡を見上げる。 
 主郭跡に鎮座する愛宕神社。
主郭背後の切岸。 
 主郭背後の曲輪跡。
北尾根の腰曲輪。 
 北尾根の旧道とみられる堀底道。
北尾根の堀切。 


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