原城(はらん)
 別称  : 原ノ城
 分類  : 平山城
 築城者: 龍口氏
 遺構  : 堀、土塁、曲輪
 交通  : JR飯田線山吹駅徒歩10分


       <沿革>
           『南信伊那資料』によれば、松岡城主松岡氏の分流である龍口藤三郎が応永二十五年(1418)
          に入植して居館を営み、龍口氏を称したとされる。ただし、『大島嫡流家伝記』には同七年(1400)
          の大塔合戦に参加した伊那衆の1人として「辰ノ口次郎」の名が見え、これ以前に龍口氏が成立
          していた可能性も指摘されている。
           原城は松岡領の北端の押さえとして重視されていたとみられているが、龍口氏の詳しい動静は
          明らかでない。松岡氏は、天正十三年(1585)に徳川氏からの離反を図って同十六年(1588)に
          改易となり、龍口氏も命運を共にしたと思われるが、原城の廃城時期は不明である。


       <手記>
           伊那谷に多い天竜河岸を利用した崖端の城で、中央を最近拡幅されたとみられる県道が貫いて
          います。主郭の堀も道路によりだいぶ毀されているものの、主郭自体は史跡公園化され、説明板
          も設置されています。
           中城(主郭)と本城(副郭)の2郭から成る輪郭式の城で、両曲輪とも大沢川を挟んで名子氏の
          南方城南方城山城と対峙する北東側に、豪快な横堀や竪堀が穿たれているのが特徴です。
          また、副郭の南辺には小沢が流れていますが、その城内側にもわざわざ土塁と堀底道を設けて、
          疑似二重竪堀のようにしているのも印象的です。
           原城は、他の天竜河岸の城砦と比べて特段要害性に優れているようには見えません。松岡氏
          の勢力圏の北東端に当たることからこの地が重視され、これだけ強固な普請を施されたのだろう
          と推察されます。

           
 主郭の堀跡を削る県道。
 奥に主郭と説明板。
説明板。 
 主郭のようす。
主郭の空堀。 
 主郭北東の横堀。
副郭の若宮社。 
 副郭北東辺の虎口状地形。
副郭北東の横堀と土塁。 
 副郭北隅の空堀。
副郭北辺の空堀。 
 副郭南辺の堀底道。
堀底道と小沢の間の土塁。 
 土塁の向こうの小沢。
県道のカーブ地点下の竪堀… 
らしいのですがとても見えません^^; 


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