龍岡城(たつおか) | |
別称 : 龍岡陣屋、田野口陣屋 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 松平乗謨 | |
遺構 : 石垣、土塁、堀、台所 | |
交通 : JR小海線龍岡城駅または臼田駅徒歩15分 | |
<沿革> 文久三年(1863)、三河国奥殿藩主の大給松平乗謨は、戦乱に巻き込まれやすい奥殿 から領地の大部分がある信濃国佐久郡への藩庁移転を計画した。田野口村を移転先に 定めると、西洋軍学に関心を寄せていた乗謨は、新たな藩庁を西洋式の星型要塞として 設計した。 城は翌元治元年(1864)に着工し、慶応二年(1866)に石垣が完成、翌三年(1867)に 御殿も竣工した。このとき、田野口の領民にも城内の観覧が許されたとされる。しかし、 この間に乗謨は老中に昇ったため藩政を顧みる余裕がなくなり、龍岡城は未完成のまま 明治維新を迎えた。 <手記> 函館の五稜郭とともに、日本で2つしかない星型要塞として近年知名度が上がりつつ ある龍岡城。続日本100名城とやらに選定されているそうですが、私にはこの城がなぜ 「名城」なのかさっぱりわかりません。そりゃ、日本に2つしかないので珍しいのは間違い ありませんが、実戦で役に立つかと言えばまったくもって疑問です。 星型要塞は、やってくる敵を大砲で足止めし、接近すれば死角のない射線で撃退する というのが基本戦略です。そのうえで龍岡城を見てみると、選地・規模ともに星型要塞の 利点を活かせるものではありません。 まず、このような狭隘な山間に星型要塞を設けても、周囲の山影から簡単に敵の接近 を許してしまいます。山に挟まれていることから敵は大砲の狙いをつけやすく、敵の砲撃 は着弾するがこちらの大砲は当たらないという滑稽な事態にもなりかねません。 次に、未完成とはいえそもそも面積があまりに小さく、堀も狭く、簡単に敵に肉薄され てしまいます。五稜郭は直径500mほどありますが、こちらは200m程度と半分以下です。 星型要塞とは、日本の城にたとえるなら総構えの堀が星型をしているというイメージなの ですが、龍岡城の場合は本丸が星型をしているという程度の印象です。 龍岡城でむしろ目についたのは、北西のはずれにある枡形跡です。城下町の入り口の 枡形跡が石塁と堀跡を伴ってとても良好に残っています。おそらく、全国的にみても貴重 な遺構なのではないでしょうか。 もし、龍岡城をきちんとした西洋式要塞とするなら、今の城内を中心として、この枡形の 位置くらいに稜堡がくるくらいの規模でなければなりません。結局のところ、個人的には ちょっと西洋の築城術をかじった乗謨が、見識を披露したいという程度の動機で築いた 城と言えるのではないかと思います。あるいは、1万6千石という小禄の故、心ならずも 規模を抑えざるを得なかったということでしょうか。 というわけで、個人的にはあまり興味を惹かない城なので、佐久の歴戦の城跡を巡る ついでに、日暮れ前の最後の1城として訪ねました。 |
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田口城の展望台から龍岡城を俯瞰。 | |
稜堡と堀。 | |
同上。 | |
同上。 | |
大手口。 | |
枡形跡。 | |
同上。 |