八沢城(やさわ) | |
別称 : 小丸山城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 木曽親豊 | |
遺構 : なし | |
交通 : JR中央本線木曽福島駅徒歩10分 | |
<沿革> 応永年間(1394〜1428)に、木曽親豊によって築かれたとされる。親豊のそれまでの 本拠は須原にあり、親豊はこれを機に福島(八沢城)へ移ったとも、福島と須原を行き来 していたともいわれる。須原の定勝寺が嘉慶年間(1387〜88)ないし永享二年(1430) に親豊によって創建され、福島の興禅寺が永享六年(1434)に親豊の嫡男信道によって 復興されていることから、親豊は須原にとどまり、信道が福島に入ったものと推測される。 永正六年(1509)、木曽義在が上之段城を築いて移ったことで、福島は正式に木曽氏 の本拠地となった。八沢城は上之段城の支城となり、天文二十四年(1555)に武田信玄 が木曽谷へ侵攻した際には、義在の子義康が上之段城に、義康の子義昌が八沢城に 籠って備えたと伝わる。ただし、まもなく木曽氏は武田氏に従属したため、八沢城が戦い の舞台となることはなかった。 武田氏への臣従後、木曽氏は福島城を築いて詰城とし、上之段城を平時の居館とした が、八沢城の処遇については不明である。 <手記> 八沢城は、木曽福島駅背後の台地の先端付近にあったとされています。現在、本丸は NHKの中継所に、二の丸が木曽青峰高校の敷地となっています。明確な遺構は失われ ていますが、本丸跡の中継所は、台地の先端にありながら一段高く盛り上がっており、 人工の盛土の跡ではないかと思われます。したがって、この本丸跡の高まりが、城跡を 偲ばせる唯一のよすがといえます。 『日本城郭大系』によれば、木曽福島駅構内が三の丸にあたり、平時の居館が置かれ ていたとされています。駅を「三の丸」として山上の本丸から一続きの城内であるとすると、 あまりにも広大な城になってしまうため、おそらく居館と詰城が明確に分かれていたもの と考えられます。 |
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JR中央本線線路脇から八沢城址を望む。 右手後方が三の丸と呼ばれる居館址。 |
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上之段城址から八沢城を望む。 アンテナが立っているのが本丸跡の中継所。 |
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本丸跡近望。 | |
二の丸跡の木曽青峰高校。 |