義貞砦(よしさだ)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 新田義貞か
 遺構  : なし
 交通  : 西武新宿線狭山市駅からバスに乗り、
      「坂上」下車徒歩1分


       <沿革>
           『新編武蔵風土記稿』柏原村の項に「砦跡」として記載があり、元弘三年(1333)に
          新田義貞が挙兵した際、陣を構えたと伝えられるとある。同年五月八日に新田荘を
          発った義貞軍は、十一日朝には入間川を渡り、その日のうちに小手指ヶ原の戦いに
          およんだ。鎌倉幕府軍は新田勢が川を渡る前に迎え撃つ計画だったが、義貞の動き
          が予想以上に早かったために小手指での遭遇戦になったといわれる。したがって、
          義貞が当地に陣を張ったとしても、十日夜から翌朝にかけての短時間の滞在だった
          と推察される。


       <手記>
           比定地は入間川の河岸上にあり、現況はただの畑や宅地です。『記稿』によれば、
          江戸時代には土塁や櫓台の跡がみられ、『中世城館調査報告書集成』の時点でも、
          まだ土塁が残っていたようですが、今は遺構らしきものは見当たりません。周辺は
          御所の内遺跡に指定されていますが、これまでのところ中世城館のものと思われる
          遺物は見つかっていないようです。
           義貞がここで一夜を過ごしたとしても、鎌倉しか眼中にない状態でわざわざ土塁や
          櫓台を築くかというと、はなはだ疑問です。同じ河岸ラインのすぐ北東には柏原城が、
          そしてすぐ南西には、こちらは堀跡や建物跡が検出されている小山ノ上遺跡があり
          ます。柏原城(城山砦)は天文十五年(1546)の河越城の戦いに際して上杉憲政が
          陣を置いたところとされ、義貞砦に存在した遺構についても、このときのものと考える
          のが妥当なように思います。

           

義貞砦比定地現況。


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