鮎崎城(あいさき) | |
別称 : 合崎城、鮎先城 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 鮎先新兵衛尉か | |
遺構 : 曲輪、土塁 | |
交通 : JR高山本線高山駅からバスに乗り、 「八幡宮前」下車徒歩10分 |
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<沿革> 明治初期に編纂された『斐太後風土記』によれば、鮎先新兵衛尉という城主がいた とされる。鮎先(鮎崎)氏について、詳細は不明である。 天正十三年(1585)に、羽柴秀吉の命を受けた金森長近が飛騨へ攻め入った際、 松倉城攻めを担った長近の養子可重が、ここに本陣を構えたとされる。松倉が落城 すると、鮎崎城も廃城となったものと推測される。 <手記> 鮎崎城は、高山市街の北に突き出た峰上の城で、すぐ東向かいには三仏寺城が あるほか、鍋山城や松倉城など三木氏(姉小路氏)の拠点城を見渡せる結節点に 位置しています。城名は、そのまま読むなら「あゆさき」ですが、地名は「合崎」という ことから、「あいさき」が正しいようです。 城跡は北山公園となっていて、園内に説明板が設けられています。公園の南東側 には、1段高い軍人墓地があり、ここが主郭とみられます。公園の中心部はおそらく 副郭で、その周囲にはぐるっと帯曲輪が付随しています。テラス状の帯曲輪が周りを まるっと囲う構造は畑佐城にも見られ、あるいは三木氏以前のこの地域における、 築城術の特徴なのかもしれません。 鮎崎氏については不明ですが、地名を冠していることから小規模な在地領主だった ものと推測されます。山田氏や岡本氏のように、三木氏の進出過程で没落した領主 の1人と考えるのが、妥当なように思います。 |
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鮎崎城跡の北山公園。 | |
園内の説明板。 | |
公園から主郭とみられる軍人墓地を望む。 | |
墓地内のようす。 |
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公園脇の帯曲輪跡。 | |
公園先端の堀状地形および削平地。 |