けんとう城 付茂庭東館(もにわひがし) |
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別称 : 茂庭本館 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 茂庭定直 | |
遺構 : 空堀、削平地 | |
交通 : 仙台駅よりバス。「坂元」バス停下車 | |
<沿革> 天正年間(1573〜92)ごろ、伊達家臣茂庭駿河守定直によって築かれたとされる。 茂庭氏は、河村城主河村氏の後裔で、定直の父政秀の代に茂庭氏を称して伊達家臣 となったとされる。 天正十七年(1589)、定直は田村氏の援軍として派遣され、岩城氏らの軍勢と戦って 討ち死にした。定直の子定元が跡を継いだ。廃城時期は不明だが、仙台城築城後は、 青葉山に繋がる山林が「御裏林」として厳しく管理されたことを考えると、遅くとも関ヶ原 の合戦からほどなくのころと推測される。 なお、河村系茂庭氏は、伊達三傑として知られる茂庭(鬼庭)綱元とは系譜上の関係 はないものとみられる。 <手記> 旧茂庭村、今の生出地区を取り囲むように、けんとう城のほか、茂庭峰館、茂庭西館、 茂庭大館があります。これらのうち最も東側に位置するけんとう城が、茂庭氏の本城で あったと推測されています。江戸時代に編纂された『仙台領古城書立之覚』には、けん とう城に付随する4つの城があったとされ、残る1つは茂庭小館とも茂庭東館ともいわれ ています。 けんとう城は、名取川に臨む山の頂(地図上の左側の丸)にあり、その峰続きの東側 には茂庭東館(右側の丸)があったとされています。かつて行われた調査では、空堀や 削平地が認められたいうことですが、現在山へ登る道はまったくなく、周囲は浄水場や 工場敷地となっていて山肌に取りつくことすら困難です。 山の北西麓は、材木業者によって伐採が行われているようで、あるいはこれが城山 まで来てくれればと思ったりもしました。「けんとう」という語については、『書立之覚』に みられるものですが、その意味については今なお不明です。 |
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けんとう城遠望。頂の向こうに茂庭東館があります。 |