御殿山館(ごてんやま) 付 大堀陣屋(おおほり) |
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別称 : 北大堀御殿山館 | |
分類 : 平城 | |
築城者: 千葉氏か | |
遺構 : 不詳 | |
交通 : 京成電鉄大佐倉駅徒歩20分 | |
<沿革> 本佐倉城の支城ないし重臣屋敷とみられるが、詳細は不明である。 御殿山館跡の北東には、徳川家康の五男信吉の大堀陣屋があったとされる。文禄二年 (1593)、信吉は佐倉10万石を与えられ、慶長七年(1602)に水戸城へ加増・転封となり、 陣屋も廃されたと伝わる。しかし、そもそも佐倉城が築かれる前の佐倉領主の役所がどこ であったのかは、諸説あり判然としない。 <手記> 千葉県の遺跡地図に「北大堀御殿山館」として記載があります。この呼称で検索すると、 なぜか大堀陣屋と同一視されているのですが、こちらは遺跡地図では別途「北大堀遺跡」 となっています。陣屋跡比定地には、かつて方形館の土塁や堀が残っていたそうですが、 今では清光寺西側のショッピングセンターとなり、遺構は消滅しているようです。そもそも、 家康の実子で10万石の大禄を与えられた信吉が、こんな小さな方形城館に甘んじていた とはどうしても思えません。 一方の御殿山館跡は、現況は畑地でやはり城館跡らしさを感じ取るのは困難です。ただ、 1984年に調査が行われ、土塁や空堀、腰曲輪まで見つかったようなので、こちらも城館跡 であることは間違いないのでしょう。一応、畑地の入口付近に土塁ないし堀跡に見えなくも ない藪がありますが、遺構かどうかは不明です。地勢としては台地の角にあり、すぐ北には 妙胤寺館があることから、上述の通り本佐倉城の支砦ないし家臣屋敷があったものと推測 されます。 |
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御殿館跡現況。 | |
土塁ないし堀跡と見えなくもない藪。 |