松坂城(まつさか) | |
別称 : 松阪城、四五百森城 | |
分類 : 平山城 | |
築城者: 潮田長助 | |
遺構 : 天守台、石垣など | |
交通 : JR紀勢本線・近鉄山田線松阪駅徒歩15分 | |
<沿革> 松坂城の建つ丘は、古くは四五百森(よいほのもり)と呼ばれ、元亀元年(1570)に 潮田長助が城を築いたとされる。潮田氏は、北畠氏の有力分家大河内氏の庶流とも いわれるが、詳しい系譜は詳らかでない。江戸時代の赤穂浪士四十七士の1人潮田 又之丞高教は、伊勢潮田氏の後裔ともいわれる。 天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いの後、蒲生氏郷が12万石で近江国日野 から旧織田信雄領の松ヶ島城に移った。同十六年(1588)、氏郷は四五百森に新城 の築城を開始した。一般には、松ヶ島城が伊勢参宮道沿いにあるものの海に近すぎ、 城下町を発展させるには土地が狭小であったためといわれている。築城にあたって、 氏郷は豊臣秀吉から大坂城の「坂」の字を拝領し、これに吉祥の「松」の字をつけて 松坂城と改名した。城下町建設に際して、氏郷は松ヶ島城下の商人だけでなく旧領 近江から多くの近江商人を呼び寄せた。四大財閥の1つとなる三井家は、このときに 招かれた商家の1つである。城は同年中に完成した。 天正十八年(1590)、氏郷は奥州会津へ加増転封となり、翌十九年(1591)に服部 一忠が3万5千石で入部した。ただし、一忠自身は豊臣秀次付きとなっていたために 聚楽第に詰めており、城には家臣石黒毛右衛門を城代として置いたとされる。文禄 四年(1595)、一忠は秀次失脚に連座して、改易のうえ切腹を命じられた。 同年、古田重勝が松坂城主となった。重勝は、茶人として高名な古田織部重然の 甥ともいわれるが、詳しいことは分かっていない。慶長五年(1600)の関ヶ原の戦い で重勝は東軍に属し、松坂城で西軍の伊勢方面軍に備えた。松坂城は鍋島勝茂ら 1万余の大軍に囲まれたが、本戦で西軍が敗北するまで持ちこたえた。 戦後、重勝は伊勢方面軍を引き付けた功績で2万石を加増された。重勝の子重恒 の代の元和五年(1619)に、古田家は石見浜田へ移封となった。松坂城の総体は、 古田氏の時代に完成されたと考えられている。たとえば本丸南西の「きたい丸」は、 重恒の幼名「希代丸」にちなむといわれている。 同年、御三家の1つ紀州藩が成立すると、松坂城は同藩の領地に組み入れられた。 松坂城には城代が派遣され、以後紀州藩の代官所として、規模を縮小して存続する ことになった。正保元年(1644)には大風によって天守が倒壊し、同三年(1646)には 同じく大風で破損した門の屋根を瓦葺から茅葺にするなど、建物の簡素化が進んだ。 寛政六年(1794)には、二の丸に陣屋(徳川陣屋)が建設された。この陣屋には紀州 藩主や明治天皇も宿泊したとされる。 <手記> 松坂城の建つ四五百森は、北に阪内川が流れているとはいえさほど要害性の高い 丘とは考えられません。さりながら、松坂城を1万もの兵が攻めあぐねるほどの堅城 たらしめているのは、高度な石垣技術による高石垣と、複雑に折れる虎口を多用した 縄張りにあるといえるでしょう。 まず石垣ですが、さすがは蒲生氏郷というのか、一般に穴太積みと呼ばれる野面 積みを基本とした見上げるような美しい高石垣が、今なお城の総面を囲っています。 二の丸の一部などには徳川氏時代の改修が見られるということですが、その積み方 や技術は全体的にほぼ一貫しているといえます。この石垣の美しさには、私は「穴太 積みの美術館」とでも呼びたいほどの感動を覚えました。 次に縄張りですが、松坂城は面積としてはそれほど広大ではありません。むしろ、 石垣の壮麗さに比べれば、規模は小さい方とさえいえるように思います。そのような 限られた敷地に築かれた松坂城の構造は、曲輪単位で戦うというより、虎口を主体 とした城というように感じられます。慣れた人が縄張り図を見れば、すぐに気が付くと 思うのですが、松坂城は各曲輪の区画が曖昧です。逆に、本城域のすべての門が 升形虎口となっていて、各々がとても強固な防御点を形成しています。 このように、見上げるように高い石垣と、升形虎口群を要とする縄張りが、松坂城を 名城に仕上げているものと考えられます。 ちなみに、松坂城を舞台として『城のある町にて』を執筆した梶井基次郎は、私が 尊敬する小説家の1人です。モニュメントに興味のない小生としては珍しく、二の丸に ある梶井基次郎文学碑を、写真に収めずにはいられませんでした。さらについでに、 せっかくの松阪でしたが、松阪牛とは縁もなく離れました。 |
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表門跡近辺の石垣。 | |
天守台石垣。 | |
中御門の石垣。 | |
旧松坂城内唯一の建物遺構と推定されている土蔵。 | |
二の丸の高石垣。 | |
御城番屋敷。 | |
おまけ:梶井基次郎文学碑。 |