三枝城(みえだ)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 三木直頼
 遺構  : 曲輪、堀
 交通  : JR高山本線高山駅からバスに乗り、
      「上切町」下車徒歩30分


       <沿革>
           天文九年(1540)ごろ、桜洞城主三木直頼によって築かれたとされる。吉城郡への勢力拡大を
          図った直頼が、侵攻および自領北端防衛の拠点としたとみられているが、その後の扱いは定か
          でない。弘治二年(1556)には、直頼の子良頼が古川城主の古川姉小路家を滅ぼしている。


       <手記>
           川上川に臨む小高い峰上の城で、麓の高曽洞川を遡って寿美峠を越えるともう吉城郡になり、
          また有力国人広瀬氏の居城・高堂城大手に出ます。そう考えると、かなりアグレッシブな選地
          ともいえるでしょう。
           それだけの要地であったため、城の規模もなかなかだったようです。大きく主郭部と東曲輪群、
          そして1つ北側の峰の北東曲輪群と3つのエリアから成っていたようですが、農業団地の造成や
          中部縦貫自動車道高山IC等の建設により、主郭部以外は失われてしまいました。
           すぐ裏手の畑地を突き当りまで行くと説明板があり、明確な登山道はありませんが、法面脇を
          よじ登って主郭部まで行けます。前方麓からは、電線鉄塔の保守点検道が付いているようです。
          主郭背後には、2条目は不鮮明ながら3条の堀切が連続しています。
           主郭の前方には件の鉄塔があり、その背後は土塁になっているのですが、土塁の裏手が低く
          なっているのと、鉄塔周辺が掘り込まれて均されている形跡があるため、上下2段になっていた
          ものと推察されます。主郭前方にも副郭等あったと思いますが、工事の影響を受けていて判然と
          しません。
           畑に戻ると作業をしている方がいたのでお話をうかがうと、自分は歴史に興味がないが、土地
          の持ち主の女性が自分で調べるほど詳しいとのことでした。その方に許可をいただいて、北側の
          尾根の方へも一応行ってみましたが、曲輪群は取り崩されているので、細尾根は途中で切れて
          しまっています。その付け根付近の北西斜面を見ると、畝状竪堀のような地形が見られました。
          もし遺構なら、三枝城は三木自綱の時代まで使われていたことに成ろうかと思われます。
           実際、三枝城は3つのエリアに跨る規模の大きな城です。おそらく、三木氏の勢力拡大に伴い
          拡張されていったのでしょう。思えば、自綱は最終的に広瀬氏を滅ぼしているので、その境目に
          あたる三枝城を維持し続けていたとしても不思議ではありません。

           
 東から三枝城主郭部を望む。
背後の農業団地から主郭部を望む。 
 説明板。
主郭背後の堀切3条目。 
 同2条目。
同1条目。 
 主郭を上下段に分ける土塁。
主郭上段を切り崩して建つ電線鉄塔。 
 主郭先端方面を望む。ICのあるあたりに、
 東曲輪群と北東曲輪群があったそうです。
北東曲輪群に続いていた細尾根。 
 細尾根付け根付近北西斜面の
 畝状竪堀状地形。


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