永原御殿(ながはら)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者: 徳川家康
 遺構  : 堀、土塁、書院
 交通  : JR東海道本線野洲駅よりバス
       「江部」バス停下車


       <沿革>
           永原御殿は、慶長五年(1600)の関ヶ原の合戦後に、徳川家当主が上洛する際の宿泊所
          (御茶屋御殿)として建設された。同六年(1601)の家康の宿泊以来、家康が計7回、秀忠が
          計2回、家光が1回利用した。
           寛永十一年(1634)以降は、将軍の上洛の必要性がなくなったことから、他の御茶屋御殿
          ともども朽ちていった。貞享二年(1685)に完全に廃止され、建物は入札にかけられたうえ、
          ほとんどが解体された。残った建物も宝永二年(1705)に焼失した。
           永原の地には古くから在地領主の永原氏があり、永原御殿は永原氏の永原城を利用した
          ものとされてきた。しかし、永原御殿の南東500mほどのところに別の城の遺構(上永原城
          が発見されると、こちらが中世の永原城であったとする見方が有力となっている。


       <手記>
           永原御殿は、野洲で中山道から分かれ、近江八幡・安土・彦根を経て再び中山道と合流
          する通称「朝鮮人街道」に面しています。近江国内には永原御殿のほかにも、伊庭御殿
          柏原御殿、そして後に水口藩の府城となった水口城の4つの御茶屋御殿がありました。
           永原御殿は、城として取り立てられた水口城を除けば、3つの御殿のなかで唯一水堀を
          残しています。本丸は藪と畑地になっていて、立ち入ることは困難です。この水堀に沿って
          本丸を一周しつつ、往時を偲ぶほかありません。
           
           
 永原御殿跡と堀跡を望む。
御殿跡石碑。 


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