明泉館(みょうせん)
 別称  : なし
 分類  : 平城
 築城者 : 不明
 遺構  : 堀、土塁
 交通  : 東武東上線若葉駅からバスに乗り、
      「住吉神社」下車徒歩3分


       <沿革>
          堀跡および土塁が認められるものの、史料や伝承にはみられず、詳細は不明である。


       <手記>
          民家の裏や畑の縁に沿って、わりとはっきりとした土塁や堀が見られます。城館跡と断定できる
         がどうかは難しいところですが、民家や畑地に必要な造作とも思えません。堀と土塁は大きく東西
         方向と南北方向に分けられ、寳珠寺の北西道路脇から入って、南北方向の堀の北端から抜ける
         踏み分け道があります(もちろん逆ルートも可)。
          東西方向の土塁は直線状ではあるものの1本につながっているわけではなく、断続的に隅折れ
         などを伴っています。ただ、それぞれの折れは民家同士の境にもなっていて、当時のままかどうか
         はわかりません。
          土塁のラインを結ぶと、上の地図に示したとおり主郭は東西方向土塁の北側と考えるのが自然
         でしょう。このあたりは畑地となっていて、畑同士の間にはこちらも浅い溝や段差が見られます。
         ただ、東西方向の土塁は堀が北側に付いているので、この点から考えれば、館内は土塁の南側
         とするべきとなり、なんとも未消化感の残る地形です。また、土塁の長さもかなりのもので、これを
         在地領主の居館などとすると、かなりの有力者を推定しなければなりません。構造だけでなく性格
         についても、いろいろと推測の余地のある遺構といえます。
          ここで、明泉館の南1km足らずのところに大堀山館があります。大堀山館の周囲にはたくさんの
         城館跡が散在しており、私はこれらを15世紀末からの長享の乱において、山内上杉氏が川越城
         の扇谷上杉氏を攻めた際の陣城群ではないかと推察しています。明泉館の周囲にも、塚越館
         構堀屋敷西光寺城堀の内屋敷など複数の城館跡が密集しています。これらのいくつかは、
         同じく長享の乱の際に設けられた陣城だったのではないかというのが、訪れてみての私見です。

           
 東西方向の堀跡と土塁。
隅折れになっている箇所。 
 南北方向の堀。
堀と土塁の内側の、溝や段差のある畑地。 


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