鶴ヶ谷陣屋(つるがや)
 別称  : 北条陣屋
 分類  : 陣屋
 築城者: 松平忠国
 遺構  : なし
 交通  : JR内房線館山駅徒歩10分


       <沿革>
           幕末期の1840年代に、幕府から房総半島の沿岸警備を命じられた忍藩主松平忠国によって、
          海防陣屋が造営されたのがはじまりとされる。
           慶応四年(1868)、駿河田中藩主本多正訥は安房国内4万石への移封を命じられ、長尾村に
          陣屋を新造した。しかし、長尾陣屋は堅牢な地形ではあるものの不便な土地で、翌明治二年
          (1869)夏の台風で倒壊すると、藩士から不満が噴出した。正訥は、翌三年(1870)に北条村の
          海防陣屋を改築して移った(鶴ヶ谷陣屋)。ただし、藩名は長尾藩のままで続き、翌四年(1871)
          の廃藩置県によって長尾県となった。陣屋自体は、同七年(1874)まで県の出張所として使用
          されたとされる。


       <手記>
           鶴ヶ谷陣屋は、県立安房高校南東隣の稲荷神社を北東隅とし、市役所と館山駅の間の諏訪
          神社付近を南東隅とする、南北に長い長方形の陣屋だったとされています。同じ北条村に文政
          十年(1827)まで存在した北条陣屋と区別するため、字をとって鶴ヶ谷陣屋と呼ばれています。
           稲荷神社境内にある由緒のなかに、長尾藩についての記述があり、これが陣屋に関連する
          現地での唯一の説明・案内です。神社の南側には生活道路で囲まれた特徴的な区画があり、
          あるいは藩主邸などの名残かもしれません。
           陣屋の東辺は、道路に沿って高さ2mほどの段差になっています。南東端の諏訪神社も僅か
          ながら段差があり、元海防陣屋ということもあってか、一応防備も考慮されているように見える
          のも特徴といえるでしょう。

           
 陣屋北東端の稲荷神社。
稲荷神社境内の由緒。 
 東辺のようす。
 陣屋側が高台になっています。
同上。 
 南東端とされる諏訪神社。


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