由良山城(ゆらやま)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 由良氏か
 遺構  : 削平地
 交通  : JR高松駅または琴電高松築港駅から
      バスに乗り、「由良」下車徒歩15分


       <沿革>
           『日本城郭大系』によると城主は由良遠江守兼光で、三谷城主三谷氏に属していたとされる。
          一方、永正五年(1508)に勝賀城主香西元定が攻め寄せた際の城将は三谷伊豆守で、弟の
          掃部左衛門が香西氏方であったことから、伊豆守は戦うことなく和平に及んだとされる。
           その後の由良山城および由良氏については詳らかでない。ちなみに『大系』には、伊豆守が
          天正十年(1582)の佐料城攻めで長宗我部方として奮戦したと受け取れる記述がある。しかし、
          由良山城攻めから73年後というのは年齢的に無理があり、なおかつ佐料城はそのころすでに
          廃城となったとみられている。


       <手記>
           由良山は東西に細長い比高100mほどの独立山です。南東麓の清水神社境内から登山道が
          整備されており、東から登って西へ下りるルートが登りやすいかと思います。
           江戸時代から加工に適した由良石の採掘が行われ、とくに戦後復興期の採石はすさまじく、
          今日では見るも無残な姿となっています。大身領主三谷氏の一族ないし重臣というポジションを
          鑑みれば、おそらく山上に曲輪を配した程度の造りであったと思われます。ですが、山頂稜線の
          北側は、まるでアニメか何かの大技を喰らったように抉り取られ、もはや旧地形をうかがうことも
          困難です。山頂広場はそれなりに面積のある削平地ですが、ここが当時の山頂で主郭であった
          かどうかも分かりません。
           というわけで、由良山城跡の訪城は復興期産業の爪痕を見学する登山と換言できるでしょう。
          南麓には削岩跡に水が溜まった池があり、周囲は柱状節理の削り残し断崖となっているところ
          が2か所ほどあるのですが、RPGならボスが待ち受けていそうな幽玄ささえ感じてしまいました。

           
 王佐山城跡から由良山城跡を望む(中央右手)。
池田山城跡から由良山城跡を望む。 
 東から登って山上稜線に出たところ。
山頂広場のようす。 
 同上。
北側が抉れた山上稜線。 
 山上稜線西端付近のようす。
おまけ:南側中腹の削岩跡の池と岩壁。 
 由良山城下から王佐山城跡を望む。


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