発端頂砦(ほったんちょう)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 北条氏政か
 遺構  : 削平地、堀
 交通  : JR沼津駅からバスに乗り、
      「内浦学校前」下車徒歩60分


       <沿革>
           長浜城三津新城出城とともに後北条氏によって築かれたと推測されているが、
          史料にはみられず詳細は不明である。


       <手記>
           伊豆半島内浦湾の背後にそびえる標高410mの発端丈山の頂上付近に三津城跡
          あり、そこから2つ北のピークが発端頂砦跡です。アクセスについては三津城の項目を
          参照ください。
           発端頂砦は上下2段に削平された主郭とその周囲にいくつかの曲輪が付属し、背後
          に堀切を設けています。規模はそれほど大きくありませんが、山頂の削平地のほかは
          遺構がはっきりしない三津城に比べると、ある程度しっかり作り込まれた城であること
          がわかります。
           三津城は南北朝時代初期に畠山国清が拠ったとされていますが、同じ発端丈山の
          稜線上にあり、史料には現れない発端頂砦・出城・三津新城は、構造からみて後北条
          氏時代に整備されたものと考えられています。ここで、北条氏が三津城も取り立てて
          いたのかがひとつ論点となりますが、私は否定的な考えです。
           発端頂砦〜三津新城の3城は、天正七年(1579)に武田氏と対立したことを受けて、
          海路での内浦湾からの侵入に備えて築かれたと推測されています。その役割は敵の
          襲来を伊豆の主城である韮山城に逸早く伝え、後詰が到着するまで持ちこたえること
          であったと思われます。その目的から鑑みれば、必ずしも山頂の三津城まで拡張する
          必要はなく、発端頂砦が防衛線の最後尾であったとしても不自然な点はありません。
          今でも稜線の途中から韮山城をしっかり望むことができ、烽火などで急を伝えることが
          使命であったことは実感できます。
           ちなみに、砦名の読みが「ほったんちょう」で合っているのか確認はとれていません。

           
 長浜城から発端丈山を望む。
 横に長い山頂稜線の西端が発端頂砦跡。
主郭後背の堀切。 
 主郭上段。
主郭下段。 
 主郭脇の帯曲輪。
砦付近から韮山城を望む。 


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