三津城(みと)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 畠山国清
 遺構  : 削平地
 交通  : JR沼津駅からバスに乗り、
      「内浦学校前」下車徒歩70分


       <沿革>
           足利氏庶流の畠山国清は、正平八/文和二年(1353)に関東管領および伊豆守護を
          拝命した。同十六/康安元年(1361)、国清は中央での失敗や関東諸将との対立から
          失脚し、鎌倉府から追放された。国清は領国の伊豆に三津城・金山城修善寺城
          3城を築き、反乱を企てた。
           しかし、伊豆の国人たちの支持を得ることはできず、鎌倉公方足利基氏に討伐隊を
          差し向けられた。三津城と金山城はまもなく攻め落とされ、最後まで残った修善寺城も
          翌年に開城した。これ以降、三津城の名が史料に現れることはなく、国清の乱の鎮圧
          を以て廃城となったものと推察される。


       <手記>
           伊豆半島内浦湾の背後にそびえる標高410mの発端丈山の頂上付近が三津城跡と
          されています。金山城山やロープウェイのある葛城山とは峰続きで、ハイキングコース
          としても人気です。公共交通機関を利用する場合は海岸側から登ることになりますが、
          車があれば東側の長瀬ダムを越えて林道を進むと、山頂南東の鞍部近くまで上がる
          ことができます。道の突き当りや中途に駐車スペースもあります。
           山頂からは富士山や駿河湾の眺めが楽しめますが、城跡の遺構となると判然としま
          せん。頂部は広く削平されていますが、その周りは緩斜面が続いていて、城砦として
          の造作があるようには見えません。北へ伸びる稜線には発端頂砦出城三津新城
          と後北条氏によって整備されたとみられる城砦跡が連続します。これら3城砦に対して
          三津城はあまりに貧弱であり、戦国時代に使われていたのかは少々疑問です。
           発端丈山の南東中腹には、空海の開山と伝わる古刹益山寺があります。金山城や
          修善寺城も既存の山岳寺院を転用した可能性があり、三津城についても益山寺関連
          の堂宇があったものを取り立てたのではないかと、個人的には推察しています。また、
          内浦湾や三津坂越えを押さえる目的で後北条氏が築いた城砦群としては、発端頂砦
          が最奥であり、三津城跡は顧みられていなかったものと考えています。

           
 長浜城から発端丈山を望む。
 横に長い山頂稜線の東端が三津城跡。
三津城跡の発端丈山山頂。 
 山頂の平場。
山頂から発端頂砦方面の眺望。 
 山頂から益山寺方面の稜線を見下ろす。


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