岡部氏館(おかべし)
 別称  : 仮宿館
 分類  : 平城
 築城者: 岡部氏か
 遺構  : 塚
 交通  : JR東海道線藤枝駅からバスに乗り、
      「藤枝市岡部支所前」下車徒歩10分


       <沿革>
           今川家重臣岡部氏の居館とされる。岡部氏は工藤氏分流入江氏の庶流とされ、工藤氏の
          祖である藤原為憲の曽孫の維清が駿河国有渡郡入江に住して入江氏を名乗り、その孫の
          泰綱が志太郡岡部郷の地頭となって岡部氏を称したと伝わる。仮宿の館が岡部氏の当初
          からの居館であったのかは定かでない。
           天文五年(1536)の花倉の乱に際し、岡部親綱は栴岳承芳(今川義元)を支持し、義元の
          異母兄である玄広恵探方の方ノ上城葉梨城を攻め落とした。岡部領は両城の間に位置
          しているが、仮宿館周辺の動静については詳らかでない。
           親綱の子とされる元信(真幸)は、永禄三年(1560)の桶狭間の戦いに際して、鳴海城
          死守したことで知られる。同十一年(1568)の武田信玄の駿河侵攻では、今川氏真とともに
          駿河を逐われたが、後に武田氏に降伏している。早ければ、このときに廃された可能性も
          考えられるが、確証はない。


       <手記>
           地図中に緑点で示した田んぼの中に、「おしゃもっつぁん」という小さな塚があります。館の
          屋敷神とされ、かつては四隅にあったと考えられていますが、現存しているのはこの南東隅
          の1か所となっているようです。
           周辺はきれいに圃場整備されていて、ほかに館跡を示すようなものは見当たりません。
          見上げれば詰城とされる朝日山城跡が間近なので、そのあたりに往時を偲ぶほかないで
          しょう。
           ちなみに、江戸時代に岸和田藩主となった岡部宣勝の祖父正綱は、元信の兄といわれて
          いましたが、近年では正綱とその父久綱は、親綱とは別系統とする説が有力のようです。
          とするなら、朝日山城についても正綱の系統の居城であった可能性もあると思われますが、
          その点についてはまだ論点には上がっていないようです。

           
 屋敷神とされる「おしゃもっつぁん」。
館跡現況。 
 館跡付近から朝日山城跡を望む。


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