大塚烽火台(おおつか)
 別称  : なし
 分類  : 平山城
 築城者: 後北条氏か
 遺構  : なし
 交通  : JR東海道線・小田急江ノ島線藤沢駅徒歩15分


       <沿革>
           『新編相模国風土記稿』の柄沢村の項に、「大塚 東南の山上松林中にあり 北条氏分国
          の頃玉縄城より小田原城へ急を告る時号火を放つが為に築し所と云伝ふ」とある。すなわち、
          永正九年(1512)の玉縄城築城以降に築かれ、天正十八年(1590)の小田原の役で北条氏
          が滅ぶころまでに廃されたものと推測される。
           
 
       <手記>
           現在の藤が岡中学校付近が、大塚烽火台跡とされています。周辺は学校や住宅街として
          完全に開発されており、遺構はもちろんのこと旧地形をうかがうのも困難です。説明や碑など
          もありません。ただ、周辺ではもっともも高い峰の1つであったことは、現況からも読み取ること
          ができます。
           同じ丘陵上には、村岡城御幣山砦二伝寺砦などがあり、二伝寺の向こうには玉縄城が
          あります。ただし、玉縄城の急を小田原に伝えるという役割上、これらの周辺諸城砦との相互
          関連性は薄いものと思われます。藤が岡の西は、湘南の穏やかな地形が続いており、当時は
          天気が良ければ平塚の高麗山あたりからでも、大塚烽火台の狼煙が望めたのではないかと
          推測されます。

           
 御幣山砦付近から大塚烽火台跡(藤が岡中学校)を望む。
大塚烽火台跡(藤が岡中学校)。 


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