摂津守館(せっつのかみ) | |
別称 : 摂津森館、鳥ヶ崎館、古館 | |
分類 : 山城 | |
築城者: 不詳 | |
遺構 : 曲輪跡、空堀 | |
交通 : JR東北本線利府駅よりバス 「キャンプ場入口」バス停下車 |
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<沿革> 留守政景の家臣某が居住していたとされる。であるとすれば、政景が岩切城から利府城へ居城 を移した元亀年間(1570〜73)以降の築城と考えられる。ただし、それ以前にも城館が営まれて いた可能性は十分にあると思われる。 『吾妻鏡』に登場する、奥州藤原氏藤原秀衡の庶長子西木戸国衡が平安末に築いた「国府中山 上物見岡」について、従来は長命館を充てる説が有力となっている。これに対し、摂津守館の北の 板谷峠付近を「国府中山」と称する古文書があるということから、板谷峠から国府多賀城へ「上」る 途中にある摂津守館周辺を物見岡に比定する郷土史家もいます。 また、館の北麓には勿来川の谷口を利用した関所があったとされ、奥州三関の1つである勿来関 跡の候補となっている(一般にはいわき市の勿来町が知られているが、所在地については現在の ところ明らかとなっていない)。 なお、遺跡ウォーカーでは摂津森館となっている。 <手記> 摂津守館は、勿来川の上流の谷口にあり、利府城とは峰続きとなっています。西方のみ地続き で、他の三方は急斜面となっています。北西にダムがあるため、旧地形が多少分かりにくいです が、古来の奥州街道が館の下を迂回して北へ向かっていたようです。 山頂には曲輪跡や空堀が残っているということですが、現在山は樹木に覆われ道がありません。 南麓に登城口らしきものがありましたが、藪に覆われてその先の道は消滅していました。何より、 私有地につき立ち入り禁止の看板があるので、この先も当分は整備されることはないでしょう。 勿来関や、物見岡の比定地ではないかという説は、十分説得力があると思います。摂津守館の 北側の谷は、北方から多賀城や仙台平野を目指した場合、最後の山の天険となります。また、 逆に多賀城以北へ向かう場合には最初の関門となります。地理上から見て、ここに古来の重要な 施設や城館があった可能性は高いと思われます。 |
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摂津守館遠望。 | |
惣の関ダムから館跡を望む。 | |
登城口? 藪に覆われている上、私有地の警告があります。 |
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勿来関跡とされる勿来神社跡。 |