長峰砦(ながみね)
 別称  : なし
 分類  : 山城
 築城者: 加藤氏か
 遺構  : なし
 交通  : JR中央本線上野原駅よりバス
       「野田尻入口」バス停下車徒歩20分


       <沿革>
           上野原城主加藤氏によって築かれたと考えられているが、郡内領主小山田氏を築城主
          とする説もある。築城年についても定かではないが、長峰砦の南東には鳶ヶ崎の古戦場
          が、西には矢坪坂の古戦場がある。前者は天明十年(1478)に太田道灌が鶴川付近へ
          侵攻した際の戦いと推定されているが確証はなく、後者は享禄三年(1530)に北条氏綱
          と小山田信有の軍勢が戦ったものとされる。長峰砦についても、両戦いの前後あたりに
          築かれたのではないかとみられている。ただし、応永二十三年(1416)の上杉禅秀の乱
          に甲斐守護武田信満が加担して以降、甲斐と関東の間や甲斐国内では争乱の時期が
          続いており、長峰砦の築城期について15世紀前半まで遡る見方もできようかと思われる。
           廃城時期についても明らかでないが、城のすぐ脇を江戸時代の甲州街道(甲州道中)
          が走っていることから、江戸幕府が成立して五街道が整備されるまでは、何らかの監視
          施設があった可能性が指摘されている(『長峰砦跡 中央自動車道改築工事に伴う埋蔵
          文化財発掘調査報告書』)。


       <手記>
           現在、長峰砦跡を中央自動車道が貫通しており、遺構どころか城山ごとものの見事に
          消滅しています。中央道の上野原〜大月間は、平成に入って大規模な拡幅がなされ、
          それまではゴルフ場と高速道の間に城山の頂部が辛うじて残っていました。平成七年
          (1995)以降、拡幅工事に先立つ発掘調査が3次にわたって行われ、長峰砦の概要が
          断片的ながら明らかとなりました。現在、発掘調査を基にした説明板や石碑が、高速道
          の南側側道に設置されています。
           調査区域からは、3つの曲輪と堀跡が検出されました。すでに消滅していた拡幅前の
          道路の範囲から鑑みて、長峰砦は最低でも4つの曲輪を有する城砦であったと推測され
          ます。同規模の城砦として、長峰砦の南東には牧野砦があり、さらに周辺には大倉砦
          四方津御前山栃穴御前山鶴島御前山などもあります。これらの城砦群は南北方向
          の防衛ラインを形成しているように見え、東西方向の移動を監視・掌握する目的で構築
          されたのではないかと考えられます。
           それにしても、こうして高速道路によって城が山ごと根こそぎ消滅しているのを見ると、
          上野原〜談合坂間の道路工事のよくいえばダイナミックさ、悪くいえば粗さをいやでも
          感じさせられます。

           
 長峰砦跡石碑。
説明板。 
 長峰砦跡現況。
 奥(北)に取り残された峰の先端に、
 遺構が残っている可能性があるようです。


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